ピンクとグレーを2回見た話をしよう

 

お久しぶりです。ピンクとグレーを見ました。

私は昨年6月ごろ初めて原作を読み、1月9日に映画を見てからもう一度原作を読み、今日(1月24日)また映画を見に行ってきました。

このブログではピンクとグレーの原作と映画の違いと全体の感想についてつらつらと書こうと思っています。

 

 

※「ピンクとグレー」原作および映画のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

 

 原作と映画の相違点

 

 まあ違いなんてたくさんあったので、映画ではここカットしたんだ!こんなに違うんだ!と驚いたところをいくつか。(後半、ごっちが死んでからのシーンはストーリーが異なるため省きます)なお、今から書くことは全て個人の感想です。

 

 

  1. 原作のサリーと映画のサリーの性格が違った
  2. 遺書の内容を明らかにしなかった

 

 

この3つです。批判でもなんでもなく、ただ「へえ~」と思いました。

 

 

 

 

1は私が思っているだけのことかもしれないのですが、原作を読んだときの私のサリーに対するイメージが『強い女性』だったので…。原作のりばちゃんがサリーのことを「石川」と呼んでいたこともあってショートカットの女性を勝手に思い浮かべていたので、映画の優しい雰囲気のサリーとは随分印象が違っていました。

 

ただ、映画のサリーはそれでいてしっかりとした芯を持った女性だったので、結果的に果たした役割は同じでした。むしろ映画にはりばちゃんが彼女を襲うシーンがあったため「石川」では少し違和感が生じたかもしれません。彼女だったら無理やりにでもりばちゃんを引きはがしそうです。その点で「サリー」は大人しい女性らしく、りばちゃんに抵抗できないという事実がとても自然でした。

 

 

 

2についてですが、私は今回の映画で「やるしかない。やらないなんてないから。」というセリフが一度しか出ていないことに驚きました。原作を読んでいるときはこの言葉がごっちが白木蓮吾として生きているときのアイデンティティだと思っていたからです。

 

映画の本物のごっちはカリスマ性が強い人物として書かれていたため、この言葉は彼にもぴったりだと思います。映画では彼の姉の遺書はなく、遺書全文を明らかにするとそこにも触れなくてはいけなくなってしまうため6枚の遺書についてさらっと流したのかもしれません。また、彼の自伝を書くという展開に繋げるためだったのかもしれませんが、あの言葉が遺書に書いてあった設定は映画でも使ってほしかったなー!と思いました。

 

 

全体を通しての感想

 

実はピンクとグレーを既読だったにも関わらず、私は小説の内容を忘れたまま映画を見たので、見ながら「ああ、こんなシーンがあったなあ」と思い出していました。また、初めて原作を読んだときは頭がパンクしてしまい結局結末がどうなったのかよくわかっていませんでした。そういうこともあってほぼ私はストーリーの流れを知らないまま映画を見ていたので1回目に見たときの感想は「引き込まれて面白かった」でした。改めて原作を読んで2回目を見に行きましたが、映画も小説も違う面白さがあるんだなあ、という感想です。

 

しかし、私がこのような感想を持つことができたのは原作者である加藤さんが「映画は僕の作品ではない」と様々なメディアを通じて話してくれていたからでしょう。でなければ私は映画と小説は別の作品だと考えられたかわかりません。なんでラストが希望的なのかということに疑問を持っていたかもしれません。

 

ここまで書いてきて終わりをどうしていいのかわからなくなりました。とにかく私はこの映画に要望はあれど、不満はありませんでした。何回目かになりますが、映画「ピンクとグレー」はとても面白かったです。62分後の衝撃は裏切らないのでどんな方でも是非一度ご覧になることをおすすめします。